リモート試験的導入(会議)
日本勢の金メダルラッシュ素晴らしいですね。
無観客の中、またはプレッシャーの中での最高のパフォーマンスを発揮して目標としてきたゴールに到達する
姿は本当に勇気づけられますし、明日への活力に!日本の活性化に!当然繋がっていると信じています。
とにかく、頑張れニッポンですね。
新型コロナウィルスの感染拡大が都市部で止まりません。
一日の感染者の過去最高記録も出てしまっております。誰かがおっしゃっていましたが、最早緊急事態宣言下かどうかも忘れてしまっているぐらい危機感がない状態ではないかと!
8/22の解除も、雲行きが非常に怪しい状態であることは容易に理解出来ます。とにかく感染しない、拡大させない一人一人のカラダへのケアが本当に大事な時期であるとだけ申し上げます。
「健康である。」自分(人間)にイマ求められていることは何でしょうか?
真面目でしょうかね?それとも正しさ、正義ですか。規則でしょうか?
強烈に興味深い記事を見つけました。
イマから2300年前に中国の荘子(儒学者)が説いたとされる『無用の用』という話しです。
一見、無用や不要、ムダなものと思われるものでも、それはそれで重要な役割を持っているという話しであります。例で言えば、車のハンドルやブレーキは必ず”遊び”というものがあり、この機能がないと大事故を引き起こすといわれているそうです。
この一見無用(ムダ)と思われるハンドルやブレーキの”遊び”のことを、『間(マ)』ともいうそうです。
この”遊び”は、運転している人にとって、なにげなく使っているものですが、実は命にかかわる最重要な部分です。
この間(マ)は当然、人にも最重要であると説かれています。
人がする我慢には2通りあります。
一つは「前向きの我慢」。
=その我慢が未来において夢や希望が持てるような、張りのある我慢のことを言うそうです。この我慢は自らのモチベーションを挙げて、未来への発展へと繋がるため、人は病気になったりしている場合ではありません。という前向きの我慢。
もう一つは、「後ろ向きの我慢」。
=その我慢を続けていても夢も希望もなく、未来には何の意味を持たないもの・・・と自分で思ってしまう張りのない我慢。つまり未来において、発展も、夢も、希望もない我慢を強いられている・・・と思った時に、即座に「後ろ向きの我慢」となっていずれ自滅していきます。
そのひとつの目安として、その我慢に〈心の余裕〉=間(マ)があるかどうかが大きな基準になるそうです。
最初に記述した『無用の用』で書いた”遊び”=間(マ)があるかどうかです。
この「間(マ)」のない我慢はいずれ病気となってご自身に返ってきます。
「いくら頑張って仕事をしても、会社は認めてくれない。。。」
「一生懸命、家族のために尽くしているのに、”ありがとう”の一言すらない。。。」
「治る見込みがないのに、リハビリを強いられていると自分で思い込んでいる。。。」
「自分はこうあらねばならないのに、現実はそうなってない。。。」
「人とはこうあるべきなのに、そのことをやってない。。。」
「毎日の忙しさに忙殺され、精神的に参っている」
「常に怒っている!」
「常にイライラしている!」
「常に人のせいにしている!」
これらは全て心に余裕を持ちにくい我慢です。
人は四六時中パンパンに我慢して生きることは出来ません。そこには肉体的にも精神的にも、余裕のある”遊び”=間(マ)がないと人間の体内に備わった細胞を破壊するように働いてしまうからです。
医学的な理論は割愛しますが、とにかく車のブレーキやハンドルに遊びがないと危険なように、
『人生においてもこの”遊び”=間(マ)の部分がどうしても必要なのです。』
如何でしょうか?心の余裕を感じることが出来ますか。
だからといって、自分にとって余裕があることしかしない、または何も挑戦しない、怠けるといった両極端でも何の発展も進化も望むことは出来ません。
無用だらけでは、「無用の用」にはならない。間だらけや余裕だらけでもだらけてしまいます!すべてバランスが大事という訳であります。
やっとタイトルの本題でございます。
新型コロナウィルスの感染拡大に対応すべく弊社もようやくリモートワークならぬ、リモート会議を試験的に導入することといたしました。
新型コロナウィルスの感染者も急拡大傾向である為、色々と対策出来ることは行っていかなければならない状況となって参りましたので。
色々会議を行うにあたり改善の余地はございますが、久々の所課長さん方とのPC対面ということもあり、話すこともてんこ盛りでありました。
あっという間に時間は経過してしまいましたが、今後の課題等も見えてきましたので色々工夫しながら、余裕を持って少しずつ良いものにして、実会議への導入に漕ぎつけて参りたいと思います。