10年前の今日(震災)
10年前の今日14:46,三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が宮城県・岩手県・福島県を中心に東日本がとても巨大な地震に見舞われました。
その時、小生は東貨流通に来て出向で静岡県の掛川へ赴任して働いている時でありました。丁度銀行で振り込み手続きをしている時に強い揺れを感じて、テーブルの下に身を隠したことを記憶しています。
掛川市で震度3ぐらいでした。まさかその後にテレビの中継で津波が押し寄せてくる映像を見て非常事態であることを自覚しました。
妻方の親族が宮城県の山奥に住んでいましたので安否を確認しましたが、なかなか電話繋がらない状況が長い間続いていました。
宮城県の内陸寄りでしたので、事なきを得たので安堵しましたが、やはり相当揺れて室内が大変だったと聞かされました。
2年後くらいに宮城県に訪問した帰りに南三陸町をこの眼で見に行きました。本当になにもかもを津波は海へと引き込んで行ってしまったという圧倒的な力を、現場の惨状から感じました。夫婦で理由もなくお互いに泣いたのを覚えています。
リアルに目で見て感じたのは貴重な体験でありました。
死者は15,899人、行方不明者は2,526人、そして震災による関連死は3,767人(復興庁調べ)と戦後最大の惨事となった東日本大震災を追悼して発生時間に改めて黙祷を捧げさせて頂きました。
いつもブログでも書かせて頂いていることですが、生かされ・残された我々は亡くなられた・往ってしまわれた方々の分まで一日を大切に生きることが供養と・・小生は思っています。
”毎日の出来事は当たり前ではない!”
日本が沈没してもおかしくなかったとは思えないでしょうか。。。
残され、生かされた我々は、やはり生きて何かをする使命をもっていると思わざるを得ないのです。
出来事として10年前に災害が起きたのであれば、また起こるかもしれません。
しかし、イマこの瞬間は・・・起きていません!命がそこに在ることが真実です。
被災され命を失った方、さらに身内・親族を不幸にも失った方におかれましては、改めてお悔やみ申し上げます。
しかし、いつまでも途方に暮れたまま・立ち止まったままでは犠牲になった方は浮かばれないのではないでしょうか。
これは本当に「亡くなられた約2万人の方々からの日本人への死を通した変革へのメッセージである。」と確信しています。
どうか前を向いて、人間としての一歩を是非とも歩んで頂きたいと思います。
小生も非力ではありますが、持てる力をもってこの日本の復興の一助となれる様、イマのフィールドで出来る最大限を日々努力研鑽して参ります。
震災においても、イマのこのコロナ禍においても、皆さんの目指す思いは一つと信じます。
「笑顔と感謝に満ちた世の中」
